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35歳の転妻の私が、0から在宅フリーランスを目指す理由

はじめまして。
りんくと申します。
本日は、Webサイトにお越しいただきありがとうございます。

私は、元公務員。そして今は、夫の転勤に合わせて、住む場所も環境も仕事も変わってしまう、いわゆる転勤妻です。ここでは、転勤妻のことを略して「転妻」と呼びますね。

公務員を辞めてからは、夫の仕事に合わせて、パートやアルバイトをしてお小遣い程度の収入を稼いでいました。

そして、現在は、35歳。パートやアルバイトとはいえ、働ける環境がだんだんと狭められてきました。友人たちは会社で、昇給や昇格をし、偉い地位になったり、お子さんと毎日、大変ながらも楽しく過ごしていたり。

今の私の周りは、バリキャリか子育て真っ最中のママの二極化が起きています。

35歳という年齢はまさしく狭間。

実は、私は結婚して10年経つのですが、子どもがいません。決して諦めているわけではなく、医者からも「身体は健康そのもの。ストレスが原因かもしれません。」と言われています。

さまざまな理由を突き詰めていった結果、仕事か家庭のどちらも中途半端でどっちつかずの自分に自信が持てないとわかりました。

そこで、夫の転勤に左右されずに、自分で働いて、社会から置いてきぼりにされないように、自分にもできるんだと、自分自身に証明するために、マーケティングを学び、PC1台で収入を得て、自分に胸をはって向き合える人生、そして仕事も子どもも諦めない人生にすることを決意をしました。

目標は、1年後に世帯収入1,000万円を達成すること
夫の年収が650万円なので、私は月30万円を稼ぐこと

そのために「なぜ、マーケティング?」と思われた方もいると思います。詳しいきっかけと経緯について、私の自己紹介しながらお話させていただきます。

基本情報

ニックネーム:りんく
性別:女
年齢:2025年現在、35歳
好きなもの:ゲーム、読書、旅行、美味しいものを食べること

ニックネームのりんくは、大好きなゲーム「ゼルダの伝説」から拝借しました。ゼルダの伝説の勇者が「リンク」なんです。(笑)

そのほかにもりんくって、英語で「Link」。「繋がり」です。転勤妻の私は、知り合いになっても知り合いで終わってしまう浅い関係が多い。知り合いともっと深く繋がりたい。社会と繋がりたいという意味も込めています。

現在のお仕事は、パートで事務職。ただ、2〜3年で夫が転勤になるため、データ入力のようなお仕事しかできません。2ヶ月後には夫の転勤で違う場所にお引越し予定です。

子どもは前述したようにいませんが、まだ諦めていません。収入=自信ではないのですが、やっぱり、子どもは手もかかるし、お金もかかるもの。自信をつけ、収入も上がったら最高ですよね。

普通の家庭の普通の子ども時代

東北の片田舎生まれ。父親は、建設業と農業を営んでおり、母親は保育士。妹が2人います。私は3姉妹の長女として育ちました。

田舎では、裕福な方だったと思います。3歳からスキーを始め、小学校では、ピアノ、フルート、少林寺拳法を習わせてもらいました。中学校は、テニス部に所属。スキー部も兼部して、全国大会にも出場。

勉強の方はというと、1学年100人しかいない小さな中学校でしたが、成績は1番か2番。スポーツも勉強もそれなりにできたと思います。高校も東大出身を毎年数名は出す地元の進学校に通いました。

思い返すと、苦労したという記憶はあまりなく、蝶よ花よと育てられたのだなと思っています。

夢を追った大学生活、そして挫折、現実的な職場へ

大学は志望校には入れませんでしたが、「CA」(キャビンアテンダント)になりたいと思っていた私は、CAをたくさん排出している大学へ進学。

大学4年間のうち、1年をハワイの大学で過ごし、ある程度の英語力と実践形式の講義を受け、もはや、CAの夢は叶ったも同然と思っていました。

就活は、JAL一本勝負

当時、言われていたのが、JAL顔・ANA顔。今はそんなルッキズム的な発言をする人は絶滅したかもしれませんが、当時は、大学の教授から、「あなたはJAL顔だから、JALを受けて。」と指示があったくらいです。それを信じ、私は、JAL一本で就活していました。

就活真っ最中の私の前に立ちはだかったのは、大手航空会社「JAL」の倒産。

他の会社を全く受けていなかった私は、途方に暮れました。(なんで、他を受けてないんだとご指摘がありそうですが、その当時の私は、CAしか眼中になかったのです。)

そこで、困った私は、一般企業より採用が遅い公務員に目をつけました。すぐにスクールに入会。公務員試験を片っ端から受け、落ちては、受けるを繰り返しました。

なんとか1つだけ、受かったのは市役所。翌年の4月になんとか入庁しました。

子どもの頃から描いていたCAという夢は夢のままに、とても現実的な地方公務員という職を手に入れました。

バリバリ働いた公務員時代

仕事内容をあまり理解せず、入庁した公務員という職業。

仕事内容が多岐にわたっていたため、不安もありました。実際は、思ったより性に合っていて、入庁から3ヶ月後には、仕事が楽しくて仕方なかったのを覚えています。

理由は、根が真面目だったことや当時、市役所内で英語を話せる人はほとんどいなく、重宝され、所謂「無双」状態だったから。

税務の窓口から農林の現場まで幅広く仕事をこなし、ある時は税金を滞納している男に包丁を突きつけられたり、ある時は災害が起き、寝る間もなく働き続けたり。

秘書課に配属され、スケジュールを組んだり、ホテルや飛行機を予約したり。PR大使のような役割を頂戴し、市長に同行。業務とは別に市の魅力や文化を伝える仕事も同時並行で行い、毎日が目まぐるしく過ぎていきました。

約7年の公務員生活は、私にとって、同じ職場にいながら、様々な分野に携わることができ、何が自分に合っているのか、または何が自分に合わないのかを考える機会にもなりました。

その中で、漠然と「なんでも屋」という言葉が頭に浮かんでいました。もちろん、オールマイティに広く浅く知識を知っていて、ある程度の仕事がこなせることは部署異動が頻繁にある公務員にとっては、とても大事なスキルの一つです。

私は、お給料は固定なのに、多くの仕事を任され、責任を持たされることに疑問を持ち始めていました。きっかけは、些細なことでした。同僚が、仕事を途中で投げ出し、泣いて、喚いて、突然仕事を休んだこと。その後処理をすることになったのは私でした。

同僚は、休んでいても有給で、1ヶ月のお給料は変わらない。私は、倍の仕事を持つことになり、ノイローゼになる寸前。身を粉にして頑張っても、休んでいる同僚と同額の報酬なんです。しかも、少し嫌な仕事が回ってくるとそのタイミングで休むという悪知恵を働かせる始末。

だんだんと私の心も荒んでいきました。

その頃の私は「なんでもできる=何もできない」と同義語なのではないかと極端に考えるようになっていました。

好きだったはずの仕事が、無意味なものになり、とうとう嫌いになり・・・

「辞めてしまいたい」
「働きたくない」

もう、我慢の限界に達していました。

結婚、退職、晴れて自由になった?

ちょうどその矢先、全く結婚する気がなかった私にも転機が訪れました。仕事の関係で何度かお会いしていた方から、結婚を視野にいれた交際の申込みがあったのです。

相手も同じ公務員。ただ、私と違うのは、所管内を転々とする所謂ノンキャリの国家公務員です。真面目な性格で、浮気の心配もなさそう、身分の保証もある。そんな安易な理由で、交際3ヶ月で結婚、その年の3月31日に夫の転勤により、私は公務員を辞めました。

今思えば、その場から逃げ出したかったのかもしれません。仕事や市役所内の人間関係、「何でも屋」にほとほと嫌気がさしていました。

そして、晴れて専業主婦に。自由の身になったのです。

始めの1週間は、毎日が新鮮で楽しかったです。残業続きで、仕事帰りは、コンビニで弁当を買って、家で食べて、寝るだけの生活から一転、お料理をしたり、家の掃除をしたり、余った時間で読書やネットフリックス、Amazonプライムを読みあさり、観あさりました。

ただ、楽しかったのは、最初の1週間だけでした

2週間経つと、何をしようかと焦り、3週間目には掃除や洗濯をしまくり、料理も2人では食べきれないくらい作り・・・

とうとう、1ヶ月の光熱水費と食費が跳ね上がりました。突然、夫から「何もしなくていいから、テレビでも観といてくれ。」と言われました。

どうやって1日を過ごすか、本当に悩みました。1分1秒が途方もなく長く、友人も会社にいる時間はLINEをしても返事はなし。

もともと仕事が好きだった私は、仕事をしない日々に耐えられませんでした。

そして、だんだんと社会から拒絶されたような気分になりました。部屋の一室にいると、シーンとした静けさが心に痛く刺さりました。

32歳既婚者が単身オーストラリア留学、ポキっと鼻がへし折れる

退職してから、1ヶ月で専業主婦は私には向いていないと思い、自分ができるアルバイトやパートに挑戦しました。

面接の際に、いつも聞かれるのが、

「公務員だったんですね、どうして退職されたんですか?」

公務員を退職して、アルバイトをするのが、珍しいようで、何か精神的疾患があるのではないか、いろいろと勘繰られました。

田舎とはそういうものなのかもしれません。他とは違う人が珍しいし、排除したいのだと思いました。

自分に自信を無くしていた矢先、偶然目についたのが、塾のアルバイト。そこで、子供たちに英語を教えているうちに、もう一度、英語を学んで、翻訳や通訳のお仕事がしたい、と思うようになりました。

夫は海外留学を大反対。ちょうど子どものことやマイホームのことを考えてくれていたようです。私はそんな夫の反対を押し切って、留学を決意。

留学先はオーストラリア一択。理由は、ワーホリの年齢も過ぎている私がお金を稼ぎながら語学を学べたから。当時オーストラリアは、学生ビザでも週に20時間の労働ができたのです。同じ英語圏のアメリカやイギリス、カナダではあり得ない高待遇でした。

すぐに貯めていた300万円をオーストラリアの語学学校へ支払い、単身で留学しました。1年で語学を習得し、もう1年で翻訳の勉強をして、帰ってこよう。

自分にも家族にも胸をはって「ただいま」と言いたい。無計画で、身勝手な選択だとはわかっていましたが、仕事をしていない自分が情けなくて悔しくて、極端な選択をしてしまいました。

期待を込めて旅立ったはずのオーストラリアでの生活は、楽しいとはかけ離れていました。

課題に毎日追われる日々、だけど成長を感じられない。周りは10代、20代ばかり。日本で話せていたはずの英語が通じない。でも結果を出さなければいけない。

いろんなプレッシャーに押しつぶされ、食事が取れなくなり、眠れなくなり、生理が止まり。

「何のためにここにいるんだろう。」

わからなくなっていました。夫に電話をしたら、甘えてしまう。弱音を吐いてしまう。そう思って何ヶ月も電話を我慢していたのですが、ただ、日本に帰りたい一心で、数ヶ月ぶりに夫に電話をしました。

「お金も何も気にしなくていいから、帰ってきたら?」

その一言で、涙が止まらなくなりました。独りよがりで、来た異国の地。心許せる人がいない。ずっと張り詰めていたものが解けていきました。

あとは、荷物をまとめて帰ってきた記憶だけ。あの時、どうやって帰ってきたのか、学校にはなんといったのか思い出せません。

というわけで、叩いたお金、300万円は泡と化したのでした。

35歳、最後の挑戦にPCを買う、そしてスクールに入る!

帰国後、長い間、外に出られない生活が続きました。病院にこそ、行かなかったのですが、鬱だったのだと思います。

仕事になど就けるわけもなく、ひたすら家で横になったり、起きたり、夫が帰ってきたら一緒にご飯を食べたり。

それでも何も言わず、見守っていてくれた夫に、何か恩返しがしたいと思うようになりました。私が勝手に海外へ行っても、心が折れて突然帰ってきても、家では家事を一才せず、寝ていても何も言わず、見守ってくれた夫。

内心は、子どももほしいし、私にも自信を取り戻してほしいと思ってくれている夫に、何もしてあげられない自分を変えたいと思うようになりました。

今までは、全て自分のために行動をしてきましたが、初めて、夫とのこれからの未来のために行動をしようと思いました。

そのためには、夫の転勤についていくことは大前提。転勤で、どんな場所に行っても仕事をして、生き生きと暮らす!子どもも諦めない!

ただ、どうしたらいいのか全くわかりませんでした。ふとInstagramを眺めていると「リモラボ」が目に入りました。

在宅で、PC1台で月に何十万も稼いでいる女性たち。しかも生き生きしてる!

理想とする私の未来がそこにありました。

入会やその後の継続にもお金がかかる。今度は失敗したくない。随分悩みましたが、PCを購入して、入らざるを得ない状況を作りました。

スクールでは、作業者になってはいけないと学びました。作業をして、作業しまくっても限界は見えています。

そこで、マーケティングです。

マーケティングは、どんな業界でも必要なもの。しかも需要に対して供給が足りていない状況です。サイトを作る一作業者ではなく、サイトを作る側になり、時給単価を上げていく、それによって、目標を達成したいと考えています。

最後に

私の挑戦は、始まったばかり。

私の目標は、

目標は、1年後に世帯収入1,000万円を達成すること
夫の年収が650万円なので、私は月30万円を稼ぐこと

現在、マーケティングを学びながら、実践して目標達成のため、自分に自信を取り戻すために走っています。

そして、私のように転妻で、どこか肩身の狭い思いをしている方や挫折を繰り返して、心がポキっと折れた方に自信と勇気、そして、スキルという名の武器を届けていきたいです。

とはいえ、まだまだ駆け出しのマーケター。ビジネスのビの字も知りません。それでもこんな私でも、目標を達成できたら、皆さんもできそうな気がしませんか。

PC1台で収入を得たいけど、何から始めたら良いかわからない方は、このWebサイトをシュミレーター代わりに覗いてみてください。

実際に私が学んだこと、実践したことをどんどんWebサイトでご紹介していきます。私の成長を定期的に見に来ていただけたら幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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